「ソウル情報」
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久しぶりの新村 延世大学校へ 2025.4
引き続きまして、新村の延世大学校へ行って来ました。10年ぶりぐらいになるでしょうか。
昨日の投稿でお話ししたとおり地下鉄2号線の新村駅から北へ一直線の道で延世大学校へ行けます。歩いて5~10分ぐらいでしょうか。また地下鉄駅から地下通路を通って延世大学校へ行く道の中間点辺りまで行くことも出来ます。その地下通路の出口が1番目の写真です。エスカレーターがあります。
一本道を進んでいくと高架があってその下をくぐり抜けたところが延大の正門なんですが(写真2番目)、高架のすぐ手前右側に教会があります(写真3番目)。これは当時のままでした。教会のさらに手前に독수리다방(トクスリタバン)という喫茶店があったのですが、それが教会の手前(写真右側)の建物の中に現在はあるようです(写真4番目)。
ちょっと正面から撮れなかったので分かり難いですが5番目と6番目の写真が正門です。韓国は3月から開講ですので学生さんが大勢信号待ちしていました。校内に入ると案内図があるんですが(写真7番目)、広過ぎて文字が細かくてこれではよく分かりませんね(笑)。しばらく行くと박물관(博物館)と書かれた建物があります(写真8番目)。これは100周年記念館という建物でコンサートホールもある建物です。当時常時公開はしてなかったと思います。中に入ったことは無かったですね。
さらに進むと左手に中央図書館(写真9番目)、右手に学生会館(写真10番目)の建物があります。建物の外観は当時と変わりなかったですね。学生は朝イチに図書館に行って席取りしてそこで勉強し、授業などの時間は席を確保したまま出て行って、終わったらまた戻って来るみたいな感じでしたね。図書館は当時は確か12時まで開館してたと思います。スナックコーナーがあって学生はお腹がすいたらそこでカップラーメンとか食べてましたね。
学生会館には当時は学食3箇所、郵便局と銀行、散髪屋がありました。今もそれらはあるようでしたが、学食のレベルは上がりましたね。当たり前ですが(笑)。当時の学食は1階に1箇所確か600ウォンで食べられるところがあり、2階には2箇所あって確か階段を上がって左側がも少し高い食堂、とは言っても1,000ウォンか1,200ウォンぐらいだったと思いますが。右側にカフェテリアと言ってましたが、おかずやご飯を好きなのを選んで取って、最後に計算してもらうシステムの食堂がありました。ここは調子に乗って沢山取ると3,000ウォン超えちゃったみたいな感じでした。左右はもしかしたら逆だったかもしれませんが。今は小ぎれいでおしゃれな学食になってました(写真11番目~14枚目)。値段も5,000~7,000ウォンぐらいでお手頃価格でしたね。今は高くなって外食するとお昼でも10,000ウォン以上かかってしまいますからね。
さらに進むと創始者の名を冠した「アンダーウッド館」が正面に見えます(写真15番目)。銅像の人が創始者のアンダーウッド氏です。銅像の後ろに見えるのが大学院事務所の建物でした(写真17枚目)。講義の登録や成績表を受け取ったりをここでしてましたね。
18番目の写真の建物が当時私たちが講義を受ける教室や先生方の研究室があった棟です。確か当時は인문관(人文館)だったと思ったんですが、違う名前になってましたね。次(最後から2番目)の写真の建物は当時교수식당(教授食堂)でした。教授しか入れないわけではなく、学生も入って食事ができましたが値段が高めでした。それでも当時4,000ウォンぐらいだったと記憶しています。やっぱり今は교수식당(教授食堂)という名前は使われていなかったですね。今の時代に合いませんからね。
今回新村で2時間の時間をとっていたんですが、残念ながら外国語学院(韓国語学堂)の方まで行けませんでした。2時間あれば十分だと思っていたんですけどね。下宿に行く時間が思ったよりかかっちゃいましたね。次回は他の計画がありますので、それ以降で時間が取れれば語学堂と梨花女子大の方を見に行ってみますかね。新村に行くのは今回で最後と思ってたんですけどね。ちょっと計画が甘かったですね。